一人暮らしの義父「要介護3」に

2019年01月20日

私の住み替えストーリー第1話  【一人暮らしの義父、「要介護3」に】

 

ハピネススタイル 代表 中村多喜子

 

夫と大学生の娘、高校生の息子と一家4人+愛犬と横浜市内のマンションで暮らしていました。その頃、私は20代の頃からの目標だった「女性向け不動産会社」を40代後半で立上げたばかり、忙しいながらも、息子の高校野球の応援をしつつ、充実した毎日を送っていました。

一方、千葉県・木更津市にある義理の実家では、義母の他界後、義父が一人で暮らしていました。80歳半ばと高齢ですがいたって健康で元気。ですが、愛車・マーチの傷や凹みが気になり始め、ニュースで高齢者の車の事故を聞くたびに心配でした。

ある時、義父に「最近高齢者の事故が多いから、そろそろ車の運転はやめたらどうですか?」と言ってみましたが、義父は「車がなくなったら、どうやって買い物や病院に行くんだよ!足は痛いし、近くのスーパーは無くなったし、車がないと生活ができないんだよ。運転は慣れた場所だから心配しなくても大丈夫だよ」と言って、運転をやめることはありませんでした。

ところが1年経ったころ、義父は脊柱管狭窄症で歩くことが困難な状況になり、手術を受けることになりました。退院後は「要介護3」の認定を受け、介護サービスを受けながらの生活となりました。本人は「まだ運転はできる」と言いましたが、家族の説得もあり、これを機に免許証は返納し、愛車は廃車にしました。

それからというもの、私はスケジュールを調整しながら時間を作り、病院への送迎や買い物、一緒に食事をするなど、木更津に通う回数を増やしていきました。

ところがある日、義父から急な電話がかかってきました。

「ベッドから起き上がれないんだよ。今すぐに来てくれないか?」

運の悪いことに、その日のスケジュールははずせないものばかりで、急に動くことができませんでした。それに、すぐにと言われても、横浜と木更津ではアクアラインを越えるため、“スープが冷めない距離”とはいえません。

その時、義父を助けてくれたのは、お隣さんでした。古くから付き合いがあり、いつも義父のことを気にかけてくれていたこともあり、義父からの電話を受け様子を見に行ってくれていたのです。

ホッとしたのもつかの間、それ以降、何度となく電話がかかってくるようになりました。仕事中でもお構いなく、電話に出られないと「なんで電話かけても通じないの?」とご立腹―。「このままではいけない。義父が元気なうちに何とかしたほうがいいのでは…」と不安が募ってきました。

義父の住む家は、築40年、土地80坪、建屋は30坪・5LDK。身体が不自由な義父にとってその家はあまりにも広く、室内や庭の掃除などに加え、水道・光熱費や固定資産税など建物の維持管理費も年金から拠出しなければならず、身体的にも金銭的にも大きな負担になりつつありました。さらに運転免許証も自主返納したため、日常的な買い物に行くことが不便になってしまったことも、生活面における心配事の一つでした。

 

私の住み替えストーリー 第2話に続く

 

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